「患者さんから怒鳴られても、応需義務があるから断れない」。
薬局でそう受け止められてきた場面に対し、厚生労働省は2026年7月8日、薬剤師の調剤応需義務とカスタマーハラスメント(カスハラ)の関係を整理する通知を出しました。
同年10月1日からは、事業主にカスハラ防止措置が義務づけられます。
現場の薬剤師が一人で「調剤するか、断るか」を即断する制度ではありません。
この記事では、初動対応、記録、職場への報告、調剤の求めを拒否できるかの確認手順を、薬局で使える形に整理します。
個別事例の判断は、患者の緊急性、時間帯、言動の態様、信頼関係などで変わります。管理薬剤師や本部と共有し、必要に応じて所轄の保健所、都道府県薬剤師会、警察、弁護士へ確認してください。
もくじ
カスハラ対応で先に行う4つのこと
カスハラが疑われる場面では、安全確保、複数人対応、記録、組織判断の順で進めます。

- 安全を確保する:距離を取り、周囲の患者と職員を危険から離します。
- 複数人で対応する:管理薬剤師や責任者へ報告し、担当を交代します。
- 事実を記録する:発言、行動、要求、対応、結果を分けて残します。
- 組織で判断する:今後の対応、調剤応需、警察や専門家への相談を決めます。
「我慢するか、すぐ退職するか」の二択にしないことが、被害を受けた薬剤師を守る第一歩です。
医療安全上の事故が同時に起きた場合は、調剤事故や過誤の初動対応フローもあわせて確認してください。
2026年に変わる二つの制度
10月1日から事業主のカスハラ対策が義務化
2026年10月1日から、改正労働施策総合推進法に基づくカスハラ対策が事業主に義務づけられます。
厚生労働省の指針は、事業主が行う措置として、方針の明確化、相談窓口の整備、事実確認、被害者への配慮、再発防止、悪質な行為への対処方針、プライバシー保護、不利益取扱いの禁止などを挙げています。
薬局側は、現場の薬剤師に「うまく対応して」と任せるだけでは足りません。
7月8日の通知で調剤応需義務の判断枠組みを整理
厚生労働省の2026年7月8日付通知は、薬剤師法第21条の調剤応需義務を「国に対して負担する公法上の義務」であり、患者に対する私法上の義務ではないと整理しました。
一方、通知は「カスハラに該当すれば直ちに調剤を断れる」とはしていません。
調剤の求めを拒否できる正当な理由があるかは、患者の緊急性、時間帯、患者と薬局や薬剤師との信頼関係を踏まえ、個々の事例ごとに総合的に判断します。
通知が挙げるのは、暴力や威嚇、繰り返される暴言や人格否定、土下座の強要、数時間の居座り、執拗な電話などです。
合理的な指摘、説明を求める行為、相当な方法による改善要望は、拒否の理由になりません。
苦情とカスハラを分ける3要素
厚生労働省の定義では、次の三つをすべて満たす言動が職場のカスハラに当たります。
| 要素 | 薬局で確認する内容 |
|---|---|
| 顧客等の言動 | 患者本人、家族、施設利用者などによる言動か |
| 社会通念上の許容範囲を超える | 要求内容または手段や態様が相当でないか |
| 就業環境が害される | 働く上で看過できない支障が生じているか |
薬局の説明不足や調剤上の問題に対する正当な苦情まで、カスハラとして扱うわけにはいきません。
障害のある人が不当な差別的取扱いの是正や合理的配慮を求める意思を示すこと自体も、カスハラには当たりません。
日本薬剤師会は、2024年9月に行った調査で、弁護士や専門窓口へ相談したいと思う苦情やクレームが過去2年間に約3割の薬局で発生していたと紹介しています。
言葉の強さだけで分類せず、要求内容、方法、継続性、職員や他患者への影響を記録して判断します。
薬局で使う初動対応の5ステップ
1.安全な距離を取る
暴力や物を投げる行為、威嚇がある場合は、カウンター越しに距離を取り、周囲の患者と職員を安全な場所へ移します。
差し迫った危険がある場合は110番、緊急ではない警察相談は#9110が選択肢です。
2.責任者へ報告して担当を交代する
厚生労働省の指針は、管理監督者へ直ちに報告し、可能な限り職員を一人で対応させない方法を例示しています。
管理薬剤師、店長、本部など、薬局内で定めた順序に従って応援を呼びます。
3.対応できる範囲を短く伝える
「お困りの内容は確認します。ただし、大声や職員への侮辱が続く場合は対応を中止します」のように、相談内容と許容できない行為を分けて伝えます。
相手をカスハラの加害者と決めつける表現は避けます。
4.繰り返す要求は時間を区切る
必要な説明を行っても同じ要求が続く場合は、対応時間の目安を示します。
説明した内容と、相手が何を求め続けたかを記録します。
5.記録と報告を残す
会話が終わったら、できるだけ早く職場の様式へ記録します。
録音や録画を行う場合は、職場の手順と個人情報の取扱いに従い、個人の端末やSNSへ持ち出しません。
調剤の求めを拒否できるかの確認項目
現場でカスハラが疑われても、調剤応需の判断は別に整理します。
| 確認項目 | 確認する理由 |
|---|---|
| 患者の緊急性 | 薬を提供しないことが生命や身体へ重大な影響を及ぼすおそれを確認する |
| 時間帯と代替手段 | 他の薬局や医療機関へ安全につなげられるか確認する |
| 言動の内容と経過 | 警告や複数人での説明後も迷惑行為が継続したか確認する |
| 信頼関係と医療提供 | 信頼関係が失われ、適切な医療提供が困難な状態か確認する |
通知は、精神疾患などの背景がある場合、医療機関や行政との確認や連携が必要になることもあるとしています。
情報提供や服薬指導を拒否され、医薬品の適正使用を確保できない場合は、調剤応需義務とは別に、薬機法上の薬剤の販売や授与の判断も必要です。
通知は「拒否してよい場面の一覧」ではありません。薬剤師が個別事情を確認し、管理薬剤師や本部と情報を共有した上で判断するための枠組みです。
記録シートに残す7項目
記録は、評価語より観察できた事実を優先します。
| 項目 | 記録例 |
|---|---|
| 日時と場所 | 7月15日15時20分、受付カウンター |
| 要求内容 | 処方箋にない薬の追加を要求 |
| 発言と行動 | 大声で同じ要求を繰り返し、カウンターを3回たたいた |
| 職員の説明 | 処方医への確認が必要と2回説明 |
| 対応者と目撃者 | 対応2名、目撃した職員1名 |
| 安全と業務への影響 | 待合の患者を別の場所へ案内し、受付を10分停止 |
| 結果と次回方針 | 本部へ報告し、次回来局時は責任者を含む2名で対応 |
氏名や病歴などは、職場の規程に沿って必要な範囲だけ記録します。
「悪質」「異常」などの評価だけでは、後から状況を再現できません。
発言、動作、回数、説明内容、業務への影響を分けて書くと、責任者が判断しやすくなります。
2026年10月までに薬局で確認したい体制
厚生労働省の指針を薬局の実務へ置き換えると、次の項目が点検しやすくなります。
- 職員を守る方針が文書になっている
- 相談窓口と報告先が職員へ周知されている
- 一人にしない対応手順が決まっている
- 記録様式と保管方法が決まっている
- 悪質な行為に対する警察や弁護士への相談手順がある
- 事実確認と被害職員への配慮を行う担当が決まっている
- 相談したことを理由に不利益な扱いをしない方針がある
- 事例後に再発防止策を見直す場がある
薬局ごとの方針は、掲示物だけで終わらせず、朝礼や研修で「誰へ連絡するか」「どの時点で交代するか」まで確認します。
制度改正と通知の更新を追う方法は、m3.comを薬剤師が情報収集に使う方法でも整理しています。
職場体制をキャリア判断へつなげる方法
カスハラの発生そのものだけで、職場の良し悪しは決まりません。
確認したいのは、報告後に責任者が事実を確認し、担当交代、配置調整、再発防止へ動いたかです。
被害を繰り返し報告しても一人で対応させられる、相談を理由に不利益な扱いを受ける、心身への配慮がない場合は、社内の別窓口、労働局、医療機関など外部の相談先も使います。
配置換えや転職を検討するときも、まず「制度上の義務」「職場が行った対応」「自分の体調」「続けるために必要な条件」を分けて書き出します。
薬剤師の人間関係トラブルと職場変更の判断基準では、退職を急がず選択肢を整理する方法を紹介しています。
不眠、動悸、強い不安などが続く場合は、転職活動より先に、産業医や医療機関、厚生労働省の「こころの耳」などへ相談してください。
よくある質問
患者さんが怒鳴ったら調剤を断れますか
怒鳴ったという事実だけで一律には判断できません。
緊急性、言動の態様や継続性、警告後の経過、信頼関係、代替手段などを踏まえて、個別に総合判断します。
正当な苦情もカスハラになりますか
合理的な指摘や説明の要求、相当な方法による改善要望はカスハラではありません。
要求の内容だけでなく、手段、頻度、継続性、就業環境への影響を確認します。
録音や防犯カメラの映像は使えますか
厚生労働省の指針は、事実確認のための録音や録画を例示しています。
ただし、個人情報保護法と職場の規程に従い、目的、保管、共有範囲を決めて扱います。
相談窓口が管理薬剤師だけでもよいですか
上司を相談担当者にする方法は考えられますが、相談者がためらわずに使え、内容に応じて適切に対応できる体制が必要です。
他のハラスメント窓口と一体化したり、外部機関へ委託したりする方法も指針に示されています。
カスハラ対策の義務化までに何から始めればよいですか
方針、報告先、一人にしない手順、記録様式、悪質な行為への対処を優先して決めます。
その後、相談者のプライバシー保護、不利益取扱いの禁止、事後の配慮と再発防止まで点検します。
薬剤師が一人で背負わない仕組みを作る
2026年7月8日の通知は、カスハラと調剤応需義務の関係を個別に判断する枠組みを示しました。
10月1日からは、事業主に職員を守るための具体的な措置が求められます。
現場では、安全確保、複数人対応、事実の記録、組織判断の順で動きます。
薬剤師個人の接遇能力だけに頼らず、職場の手順として再現できる状態にすることが、制度改正を現場へ落とし込む方法です。
参考情報
- 厚生労働省「薬剤師の調剤応需義務等について」(医薬発0708第1号、2026年7月8日)
- 厚生労働省「令和7年労働施策総合推進法等の一部改正について」
- 厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」
- 厚生労働省「2026年10月1日からカスタマーハラスメント対策が義務化されます」(詳細版)
- 日本薬剤師会「カスタマーハラスメント防止啓発ポスターを作成しました」
- 警察庁「警察相談専用電話 #9110」
- e-Gov法令検索「薬剤師法」

